るる くんです

AI生成画にハマりかけてるおじさんです。 おじさんだって可愛くなれる

私がカラダ壊した経緯

 簡単に言えば過重労働ながら、残業代目当てで無理しすぎたことで、

一気に激痩せしたりで、血栓による2度の脳梗塞で、動けなくなったことです。

1か月半に渡る海外出張の間に休日もなく、残業時間が250時間を超えてました。

IC製造装置の組み立ては、外部派遣会社へ請け負わせて、大手の製造装置メーカーは、

少しでもコストダウンを図ります。

 聊かうろ覚えにはなりますが、参入してた派遣会社チームは大小併せて8社くらいはあったかと思います。 私自身は熊本県内の派遣企業で、参入してた会社としては、

中堅くらいの位置でした。 ただし、最近になってその会社を検索しても出てきません。笑

 何時の間にか倒産で消えてしまったか、社名変更や統合化されたのかわかりません。

たしか昨11月だったかNHKで、

www.nhk.jp

と言う派遣労働者の死を取り上げた全4回のドラマがBSだったかありました。  

 今そのページを見てると、2月6日と13日に前編・後編で再放送されるみたいです。

企業側のためになる派遣労働の緩和化で正社員に成れず、簡単に切られる使い捨ての

便利な労働者は福利厚生も乏しく、残業代で稼ぐしかその場を豊かにできません。

私自身も膨らんだ残業代で月50万超えた時もありました。 

(その後に来る引かれものにも泣きますが)

派遣の仕事の前は、正社員で別の物流設備大手企業に居まして、

収入的にも後の派遣よりも2倍くらいは年収あったと思います。

 ただ、上司との折り合いも悪く、今の妻の真実を知られてからは

更に婚姻さえも認めてもらえず、また自身の女装のほうにも走ってた時期でしたので、

今となれば勿体ないことですが、自分からその会社を退職しました。

人は落ちてゆくときは本当に坂道転がるように落ちて行きますね。

 派遣でも決まりで検診などは年に2回程度はありました。

検診のたびに心臓や他内臓等の数値や心臓肥大など、悪い結果も目立つようになってました。自分自身で労わるように詳細な検査など行えばよかったのですが、リーマン前までは、とにかく忙しく、国内・国外関係なく出張の連続の日々でした。

   「当時の半導体製造装置」

国内企業なら、カスタマーとしての労働環境を守ってくれて、

最低でも日曜くらいは休みで、装置立ち上げのスケジュールが組まれてます。

 酷いのは韓国・中国です。可能な限り短期間に終わらせる、人員も最低限で済ます。

韓国(Samsung、Hynix)は、昼夜2交代で、ほぼ1週間で立ち上げです。  

中国はシフト交代もなく、当初だけ2名で10日ほどやって、あとは1名で最後まで終わらせるという状態です。 1名は効率的にも大いに落ちますので、

2名で10日やる仕事量も、1名だと倍以上簡単にかかってしまいます。

 当時の中国企業はそのこともあまり理解してなくて、とにかく少人数で済ませようと

指示あったようです。 それを受け入れる派遣先日本企業もどうかと思いますが。

  その1か月半で私は80kgあった体重も71kgまでになって帰国でした。

痩せたいならよいかもだけど、流石に死にかけます。 寧ろ倒れた、死んだとなれば

そのあとからは待遇も改善されたでしょうね。

 

 リーマンショックの2008年終わりに私は第二弾としてクビ切られ、

1年に及ぶ雇用保険生活になりました。 収入的には苦しいですが、最初の半年くらいは悠長にも気楽に暮らしていましたね。 悪かったのはこのときにしっかり体調の改善を図っておくべきだったことです。

 ようやくに次の仕事が決まったのは、雇用保険も切れる1か月前くらいでした。

中小の小に近い地元企業で、3か月の試用期間付きの装置保全業務です。

 そこで働き始めて僅か1週間くらい、加工作業中に突然眩暈と吐き気で倒れ、

最初誰も気づかずにそのまま放置で、やっと1時間後に、救急車で病院へでした。

 脳梗塞で3週間の入院となり、退院後も身体的後遺症も残っています。

・味覚の神経が舌の前1/3くらいしかない。

・視力が1.2あったのが、片眼0.7以下になった。

・首(頭)を 回すように振ると、必ず眩暈する。(階段の踊り場回るのも眩暈)

・しゃがみこんでから立ちあがると、眩暈や立ち眩みが激しい。

・真っすぐに歩けない。 

(遊歩道を歩いても左右に70cmくらい幅以って、ふらふら歩く。)

 

最初の味覚は4か月後くらいには回復してました。

程度は若干改善されてはいますが、他の眩暈関連は今でも続いてます。

 そういったことで私は、かなりの期間働けずに居る状態です。

座って事務仕事でもさせてもらえる会社でもと思いますが、

年齢的にも一般企業では難しいことで、以降結局は生活保護に縋ることになりました。

 唯一救われるのが、その時点でも厚生年金30年納めてたことと、

優良企業に在籍時の企業年金が幾らか いただけることです。

 皆様、私のような阿呆なことせず、反面教師としても自身のお身体を大事にされてください。自分のような馬鹿者は他に続いて欲しくないですよ。