本当は母の写真を探してたが、どうしても見つからずに埋もれてしまってる。
代わりにもならないが私が初めて仕事に就いた地方家電量販店・修理サービス部の
写真が見つかったので、画質だけアップしてみました。
これで今月の画像ファイル容量は使い切りました(笑)
写真は大分のセンターに移った頃なので私が19歳、1978年のものです。
月額9万円で、バイク買ってツーリングしてましたね。
ちなみに私はTV修理が得意で、ナショナル(今のパナソニック)や東芝等のメーカー内
技能コンテストで九州地区3位でした。
当時はまだ真空管TVも修理として残ってた時期で、トランジスタ・ICの新型TVと違って、重くて修理には慣れない感じでしたね。
あと、最初の1年半くらいは、カブに乗って別府・大分の顧客修理に駆け回ってましたよ。
§§§ 思い出のなかでもしっかり憶えてるのが・・§§§
・夜9時前くらいに着いて修理始めたが簡単には治らず、11時過ぎまでかかってしまい、家の方々は数人寝床に就かれたことも。
・別府の下町とも言われる界隈の古いアパート(多分昔の遊郭)で、貧しくもキチンと暮らしてる方の修理代が正規なら5000円近かったけど、ごまかして800円でイイよと帰ったこと。
・やや山際の農家のお宅に修理や販売で懇意になって、私が親に亡くなられて独り身で頑張ってることを気にかけてくれ、大晦日を一緒に過ごせせていただいたこと。
給料低くても人の優しさ(人情)に関わる仕事で、楽しく良い勉強ができた最初の仕事でした。 二十歳までの3年間を技術畑のベースとしてやってました。