中学に上がる頃に引っ越しになり、一戸建ての新築貸家へと移り住みました。
けど、私だけそこは少しの期間だけで、中学校に近い古いアパートに独り暮らしです。
夕食だけは義親の運転で、毎日母が持ってきてくれてました。
朝は食べずに学校へ行ってたし昼は給食ですし、休みの昼食等は、
買い置きのインスタントラーメンでの毎日でした。
少なめだけど最低限のお小遣いというか現金は受け取ってたので、
すこし離れた商店街で、パンなど買うことは出来ました。
金銭面の不満もなく、自由に一人で居れることのほうが、
自分にとっては気楽な日々でした。
学校の友人もよく遊びに来てくれたし、自分もまた友人の自宅(街中)まで、
自転車乗って行ってましたね。
中学も2年になると、趣味になったラジオリスナーとして、
よいラジオなど欲しくなり、朝刊の新聞配達のバイトもやり始めましたよ。
時期もまさにそのころ。 男の子のそのくらいの時期って、
アレを経験、し始める頃です。 そう、精通をです。
男性なら最初はビックリだったでしょう。 射精で天井まで届いたりです。爆
オナのためのおかずネタとして、当時なら男性向けコミックを廃棄場所から、
拾って来るが私の「宝探し」みたいでした。笑
そういうことにも慣れというか飽きてきたら、暗い早朝から他人の家を回って
配ってる新聞配達時に軒下に干されてる女性下着(若い人用な感じの)に、
興味持ってしまうのも好くない言い方だけど、若気の至り・必然な事象だと
思います。 ほんとうに申しわけないことだけど、2点ほど持ち帰った憶えはあります。(マニアになるほどは盗癖になってません)
さらには押し入れの中に柳行李が2つあって、中には母が以前に着てた下着類や
普段着からホステス用衣装というかドレスも少しだけ残ってました。
お化粧までは出来ずでも、下着類から色んなもの着用ができることになったわけです。
なんか世界観がいっぺんに変わった中学2年秋の頃だったと思います。
あまりやり過ぎて妄想の中を彷徨ったりもあって、
成績も落ちた時期だったかもしれません。
着用は夜に寝るとき気が向いたりで、あとはオナのときくらいです。
昼間の普通の時はラジオ(BCL)や友人との遊びに夢中でした。
そんなこんなの中学3年も終わりかけ、高校入試へと進んでいきます。
2話め おわりです。
単に下着女装云々だけでなく、フェチも混ざっていたと思いますね。